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暮れの元気な墓参り。

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 大谷吉継(よしつぐ)は越前敦賀城主。大谷刑部(ぎょうぶ)の通称でも知られる人物。後年ハンセン病を患い、頭を白い頭巾で隠しており、関ヶ原合戦時には馬に乗ることも難しく、4人担ぎの輿(みこし)に乗って指揮していたそうです。

 息子も一緒だったらこのパネルにラブをハメ、写真を撮ってもらえたんですが前回も書いたように息子はお留守番。雰囲気だけ感じてください♪



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 関ヶ原の戦いで盟友・石田三成に挙兵を持ちかけられ、無謀だと説得するも、出兵を止められないと悟ると、負けるとわかっている西軍に参戦しました。ちなみに真田信繁(幸村)のお義父さん。

 前回書いたように、小早川秀秋隊1万5,000人が東軍に寝返り、山の上から大谷隊を攻撃。小早川秀秋の裏切りを予測してあらかじめ秀秋と三成の間に布陣をして直属の兵600で迎撃。戸田勝成・平塚為広と協力して兵力で圧倒する小早川隊を何度も山へ追い返しました。

 ところが裏切りに備えて配置していた脇坂・朽木・小川・赤座の4隊4,200が東軍に寝返っちゃったから万事休す。前回もUPした画像の場所で秀秋を呪うと言って切腹。その通り、秀秋は2年後に精神のバランスを崩して死亡したっていうんだからそのパワーたるや超強力。

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 画像だと一見、「湯淺五助の墓」(彼の側近)だと思っちゃいそうですが、これはワケアリ。吉継の首は五助の手によりこの地に埋められ(隠され)、五助が藤堂高刑(たかのり)に捕らわれた際、五助は主人の首のありかを藤堂に正直に伝え、供養を頼み、死にました。敵ながら天晴と感心した藤堂は、家康からの詰問にも決して吉継の首の所在を口外せず、合戦後、約束通り大谷吉継と五助の墓を建てました。そんなわけで名の表記がありませんが画像右が大谷吉継の墓になります。

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 実家の墓参りより前にお参りしてまいりました。

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 画像は吉継の陣跡で、松尾山が一望でき、山頂には当時のように小早川の旗も見ることができる位置。ちなみに5年前に松尾山にも登って旗も間近に見ています。詳細はこちら

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 しかもJRに新幹線も目の前を通っており、息子の不在を嘆きましたが、連れてったら連れてったで2つの山登りは不可能だし、雨上りで山道はぐちゃぐちゃ。嫁さんに怒られるのは確実なんで連れてかなかったのは賢明な判断。

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 息子がいないのをいいことにダムカードのないダムのさらに奥にある宇喜多秀家(うきたひでいえ)の陣まで行って関ヶ原の隅から隅まで満喫。宇喜多の旗は先祖「児島高徳」の「児」を旧字体で大書したものが旗印。児島だよっ!

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 午後の早い時間に帰宅した後は庭先で愛犬の泥を洗い流し、母子に預け、夕方まで私は2階の大掃除をしていたらその夜、ラブさんが胃液を吐き、体調を崩しました。

 最初は大谷さんを疑っちゃいましたが、吐しゃ物から息子のお菓子やアメが袋ごとでてきてブチギレ!23日の夜は徹夜し、せっかくのクリスマスイブなのに自宅待機のゴハン少な目になったラっちゃんでしたとさ♪

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プロフィール

犬人

Author:犬人
犬人 1976年8月26日生まれ
 犬と祭りとサッカーをこよなく愛するお調子者。2008年奇跡的に結婚。以後、嫁も愛する。2012年長男も誕生し、三人と一匹の家族生活は最高の一言!

ラブ 2004年4月29日生まれ
 三色毛モジャのコーギー犬。カイヌシに似て調子乗り。性格はヒト、イヌ問わずフレンドリー。でも売られたケンカは必ず買っちゃう太っ腹。カイヌシの結婚後、しばらく嫁にいじわるをし、嫁に小姑ならぬ「コ姑」と呼ばれるも、長男の誕生を機に改心。今はお姉ちゃん犬として活躍中♪

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